うずしおの『経過観察中』

日記みたいなもの

なぜ小説を書いているのかを再考する1

渦潮は趣味として小説を書いている。

よく『本格的に小説を書き始めたのは~歳のときで』、というフレーズを目にすることがあるが、『本格的に小説を書く』とは実際、どのようなことなのだろう。

とりあえず、『不特定多数の読者を対象に小説を書くこと』と定義してみる。「小説を読者に届ける」意識を持って書く、というのが「プロっぽい」という意味で『本格的に』なのかなと一義的に思ったので。

してみると、僕のなかでは小説を始めた時期が3点、思い当たってくる。一つは、高校に所属していた文芸部の部員として小説を書き始めた時期、そして、大学生になってwebに小説を投稿し始めた時期。このあたりが一般的な『本格的に』を指す時期っぽいのだが、実はもっと前に、僕は小説なるものを書いていた。

この辺りでお気付きの方もいるかと思うが、渦潮はあんまり肩肘張ったものとして小説のことを「小説」と言っていないので、一つの趣味のようなものとして身構えずに読んでいただけると幸いである。

さて、僕の小説を書いていた最も幼い記憶をたどると、小学2年生頃になるだろうか。

児童文学の『ズッコケ三人組』と『エルマーのぼうけん』に影響を受けて、というかほぼ同内容で、『3人の小学生』が登場する、『作中序盤に出てくる7つのアイテムをすべて使い切る』、『無人島での冒険』を大学ノートに一冊半分、書いていた。

大学ノートをすべてひらがなで埋めるような熱量ではあるのだが、何も分別もないような頃に書いていた小説なので、当然誰のため、などと意識しているはずもなく、恐らく、「読んだ本と同じものを書きたい!」という衝動だけで書いていたのだろう。

この、自分にとって本当に初めて小説を書いていた時期を、『本格的に小説を書く』の範疇に入れるかどうか、という理屈をまず考えた。

そう考えると、幼い頃の小説は除外して、というカッコつきの意味で、『本格的に』という言葉が使われるパターンもありそうだ。「僕が本格的に小説を書き始めたのは~」と言うときは、自身の黒歴史を除外しているわけだ。都合よく人生の歴史を編集して。そう思うと、『本格的に小説を書き始めた~』後のものを評価してもらいたい、しゃらくさい意味合いがついてきた。

ちなみに当時の小説が、児童文学と『ほぼ同内容で』というのは、ズッコケ三人組における、スポーツのできる小柄な少年、博識なメガネ、ジャイアン体型の大食らいという要素がほぼ同じだったところで、記憶の中ではオマージュというより、パクリだったからである。

ちょっと定義の話から離れよう。今回は渦潮自身の振り返りの記事なので、渦潮用の自分語りになってしまう。

いまそのノートは手元になく、何処にあるのかもわからないので、完全に当時の記憶、印象、小学生の目から見た自意識で振り返っているのだが、その小説が未完となった理由は、作中でメガネキャラの少年が無人島の真っ只なかで発狂して、その発狂ぶりに書いている自分で恥ずかしくなって、筆を置いてしまったことである。処女作が断筆ENDで、こうして人生が分岐していくのだと思う。なぜだかいまでもそのメガネの発狂の羞恥の感覚だけが残っていて、3人の小学生が、一体どういう力学で学校生活という日常の風景から非日常の無人島へと舞台を移動したのか、その展開のぶん回し方など、仔細のプロットがまったく思い出せない。

覚えていることといえば、『ズッコケ三人組』と『エルマーのぼうけん』を足して100%希釈した内容を大学ノート1冊半分も書き付けていたということと、最終的にハカセポジのメガネが勉強ができるという自らの謎の自負心に溺れて発狂して、それを書きながら恥ずかしくなり断筆したという挫折の記憶、そしてそのノートを小学2年生の終業式頃、引っ越してゆくあまり仲の良いわけではなかった友達に気前よくあげてしまったという思い出だけである。そうだ、そのノートは彼が持っているのだ。当時の僕はその黒歴史をさっさと処分したかったのかもしれない。

ここで分かったのは、読んだ本と同じような小説を書きたいという、創作の萌芽というのか、そういうものの芽生えは、インプットなくしてはできないのだということだ。

(『同じような』小説を書きたかったのか、『同じように』小説を書きたかったのかは正直なところ定かではなく、そしてここがどちらなのかというのは結構問題だとも思う)

最初に小説を書きたい、という原初的な気持ちは、そういうところから来るようだ。

一方で、高校生、大学生となって、いわゆる『本格的に』小説を書き始めた頃からは、しがらみが絡みつき始める。

高校生のとき、だが、入念に思い出すと、最初は小説を書きたかった、小説を書いて部誌として学校中にばら撒くという痛快なイメージのある活動に、憧れのような興奮のような、人生の高校生という時期に自分がやるしかない、やるべきだというようなひらめきを感じていたのは確かである。当時ファンだったゲーム実況者の同人小説を読んでいて、彼のように小説を書きたいと思っていたこともあった。振り返ると確かに、原初的な欲求は「こんな小説が書きたい」というものみたいだ。

そしてここにもう少しどうしようもない感情もまとわりついている。小学生から中学生まで続けていたバスケットボールが、全然うまくならず、中学生から始めた同級生たちにレギュラーの座をほぼほぼ奪われ、このままバスケを続けていても、努力をしないだろうし、練習量は高校レベルとなりつらい思いは増える一方だし、バスケットにしがみついていても良いことはないと感じていた僕がいた。それでも当時の僕には謎の偏った自意識があって、運動部を続けないと舐められる、安心できない、という、恐らく自分が周りを見下していたのだろう部活差別というか、野球部やサッカー部を頂点として、バスケ部や軽音部が続き、文化部やその他のスポーツがあり、一番下が卓球部みたいな(卓球部の方、本当にごめんね)、部活序列みたいな意識があったのだ。

結局僕は空手部と文芸部という二足のわらじを履くことにして、一年の夏に差し掛かる前に空手部を辞めてバスケ部に入り直し、夏の練習についていけず、部員とも馴染めず、バスケ部の顧問の先生に頭を下げて(僕はこの先生が怖かった)、部の人たちには黙るようにして、消えるようにして、バスケ部を辞めた。僕はほとんど帰宅部となって、口笛を吹くように放課のチャイムと同時に自転車を駆って帰宅し、パソコンでフラッシュゲームなどに耽り、そうして自分が嫌になって、その時期に何をしていたかという記憶もまったく思い出せないくらい密度の薄い時間があって、小説を書くことも辞めてしまって、あっという間に二年生の夏を終えようとしていた。

僕は不幸というより、チャンスをものにできなかった。そう思う要素が、他にもう一つあった。文芸部への幻滅というものがそれだった。

これは、あんまり共感を得られない感覚なのかもしれないけれど。身の丈よりも高いと意識してしまう偏差値の高校にいて、そういう高校生は放課後、友達と遊ぶことが統計的に少ないそうだ。そんな文章をどこかで読んだ。それは、プライドが邪魔をするからだと書いてあった。僕はそんな学校で、自分を決定的にうちのめしてしまうような、いわゆる天才高校生、という存在を幻想していた。なんというか、自分を決定的に否定する天才がいて、あるいはクラスのなかに自分よりも小説を書ける存在がいて、そいつにある日突然後ろから刺されるように、優れた小説を書かれる、という妄想をしきりにしていた。だが、そんな存在は結局現れなかった。いいや、天才というのは結局最後には結果を残すのだった。僕がそんな妄想に耽っているうちに、現役で東大に入ってしまうくらい頭が良くて、男で同じ時期に文芸部に入った同級生がいたのだけれど、彼のことを眼中から外しているうちに、競争力というものを失って作品を書かない時期を生んでしまった僕は、高校の最後、取り返しのつかない時期になって、彼が評論の賞を取るという決着で終わってしまった。

いいや、そんな風なつまらない話で終わりたくなかった。

僕が頑張ったのは最後の最後で、高校二年の終わり頃に、部に在籍して毎月の部誌に載せられる機会があと数回という時期になって、痛切に、最後に何かを残したくて、作品を数点、書いていたことがある。

当時の僕がいなければ、今も小説を書いてはいなかっただろうと思う。

……こういう風に、小説というのが僕のアイデンティティに食い込んできたようだ。

自分語りも長くなってきたので、今回はここまでにしようと思う。とはいえ何か道筋を規定して振り返っているわけではないのだけど、次回は大学以降での小説との付き合いかたを書いて、自分の変遷と、創作への意欲の持ち方というのを、模索したいと思っています。

ちなみに、今回お話した、高校時代の作品というのは全部pixivに投稿していて、読めるようになっています。

誘蛾灯(pixiv)など、数点。

当時のネットの影響、という角度からも振り返る必要があるかなとは思っています。多分ネットの方が自意識は死ぬほど厳しかった。

とはいえ次の記事はVRの話を書きますw

それでは。