楽しんでもらうこと、がなんか繋がった
せっかく一般の人に訪問してもらえる記事を書いたというのに! また日記的な内容に戻ってしまって申し訳ない。
仕事についてぼんやり考えることが多くなり、例えば国家資格が必要な職業には大学に入り直さない限りほとんど就けないのだなあと、十代の頃よりも選択肢が狭まっていることを改めて感じたりもしました。
若い時は非常に狭い視野でしか生きることができず、自己肯定的になってしまいますが、職業のことなんか考えずに来た自分のビルド(ゲーム用語です)で生きるしかないのだなあと。
それで、自分はいまの状況への不満などを鑑みて、職業を探しているというより、自分の能力を活かしてより人の役に立つにはどうしたらいいのか? と、その方法を考えているのかもしれないと思うようになりました。
今日は仲の良い同期と雑談をする機会があったのですが、『Youtuberという職業は社会の役に立っているのか』という話をしたりしていました。向こうの意見では、Youtubeでゲーム実況などをすると、Youtube依存症者を増やすことになってマクロ的にはマイナスなのではないか、という意見でした。暇なら実況動画とか楽しいよ、やってみない? と私が無責任に誘った流れから始まった、他愛もない雑談の話でした。
自分は大体次の二点でYoutuberという職業を肯定的に捉えています。
- Youtubeには質の良い動画を視聴者に効率よく割り振る機能があって、システムによって質の良い時間を社会に提供していることになる。その機能のために、殆ど多くのYoutuberはそこまで多くの視聴者の時間を支配できるわけではないので、依存症者を増やすことに加担する確率は少ないと思う。
- 人はレベルの低い欲求(マズロー五段階説でいう『生理欲求』『安全欲求』のあたり)と高いレベルの欲求(『社会欲求』『承認欲求』『自己実現欲求』のあたり)をよく区別できずに求めてしまうが、欲求が満たされた直後に『違い』に気付いて再び高いレベルの欲求を目指す機能が、脳の仕様として備わっている(落胆したりするのがその証拠で、より抽象度の高い生存競争に生き残るために獲得した仕様だ)。そのためたとえ消費されるばかりのコンテンツを提供するとしても、人には簡単に依存しないための粘り強く戦う機能が備わっているから、依存については気にすることはない。(それはむしろ受け手側の問題だ)
(ソースは俺)
まあこんなことをくだくだと書きましたが、このブログでも紹介しているように、YoutuberとかVtuberとか、是非やって下さいと思っている立場です。
それで、冒頭の思考に戻るのですが、人の役に立つ方法が随分と限られている自分、能力の無い自分、そんなことを今日も考えていたら、ふと、人を楽しませることも、人の役に立っているのだなあという実感に繋がったりしたのです。世にあるコンテンツも、人の時間を楽しくするために作られているのだなあと。
逆にいうと、いままで人に楽しんでもらうために、何かを作ったことがなかったんだと思います。
いままで小説とか、ゲームのシナリオとか素人のレベルで書いてきましたけれど、ほとんどの場合で義務感が強かったんだと思います。今一度何のためにやっているのかを考え直して、生きてみたいなと。
この気付きをもって色々と活動してみたら何か変わるんじゃないかと、そんなことを思いました。
今日もヘドロみたいな思考の文章を書きそうになっていたので生の方向に切り返せて良かったです。
それでは。