うずしおの『経過観察中』

日記あるいはラジオみたいなもの

人生の敗北を認めるのはとても難しいこと

うつになると、人生がお終いのような心地がします。

何にも頑張れない自分がいて、そして回復の目処が見えないために、生活費を稼ぐこともできなくなる将来のイメージが浮かび不安に襲われます。

渦潮は長いことこのようなうつから抜けきれていないのですが、今日は夕方から友人と話せていたので比較的楽しい一日を過ごすことができました。

この友人という存在が大切で、人生の落とし穴に落ちてしまった悲劇の人を唯一救えるのがこうした理解者の存在だとしみじみ思うのです。

僕が今週Evernoteに書いていたメモはこんなふうでした。

心の腐敗、怯懦、堕落

何かに感動できなくなり、自己嫌悪にまみれ、身体は動かなくなる

配偶者や恋人や友人はおらず、親兄弟とも折り合いが付かず

その日その時の感覚で生きて節制がない

努力は必ずしも他人との相対量ではないにしても、一日一歩の歩みが続けられるとは限らない

何のために生きているのか実感なく働き 稼ぐという意思も能力もない

夢なんて勝手に追っていればいいのだけど、人避けをし気を遣われるばかりで社会に参与できない先の無い者でしかない

自我から特別性が失われている状態で、過去を突きつけられている。

自分の心とピントの合わないことをしていると苦しくなる

楽しくないと失調する

放っておくとこういう文章を延々と書いてしまいます。

色んなことを考えるのですが、そのときに一番思うのは、もうだめなのではないか、ということです。

今日は綺麗事を書くつもりではなかったのですが、前進か回復を感じられる日があるという一点だけでも、現状維持に意味があるような気がしました。

コロナ下で一人暮らしをしている人は体調などを崩してきている人が体感で多いです。

いまは一週間を乗り切り、土日でしっかりと休む。可能なら有休を使おうと思います。

どうしても、余裕のある状態で書く文章というのはだめになってしまいますね。

それでは。