うずしおの『経過観察中』

日記あるいはラジオみたいなもの

流れの内部における言葉と感情について

こんばんは。渦潮です。

今日は鬱っぽかったんですけども、急遽おにどらさんと話して、ゲームの会議の問題について話をしたり(最近の会議では議題がふわふわしたままになっているから、具体的に毎週議題を決めて、ワークしていこうなどという問題提起)、 話しながら自分の動画を編集したりしているうちに、徐々に感情を取り戻していきました。

そこで思ったのですが、感情というのは、言葉に保存されているもので、それを汲み取る力がなければ、流れる水を網目の粗い桶で汲み出すことができないように、感情を自らに蓄えることができないのではないか、ということでした。

皆さんも友人などと話をしているときの自分の会話を録音して文字起こしなどしたりしてみて欲しいのですが、会話のなかで、『実はエモかった』というポイントに気づかずに取り落していることって、結構あるようなんです。

普通に話を聞いたり、ライブな流れのなかで一読しているなかで、言葉というのを単体の点として捉えていることがほとんどだと思うんです。

でも実はそれはその人の背景からしたら『効いている』言葉だったり、話題の前後で意味のある話だったりと、点ではなくて多面的な起伏があるんです。

動画を編集していて偶々そういうことに気づく機会があり、普段の会話のなかで全然『エモ』に気づけていなかったのだなと思い知らされました。

突然友人が別のゲームの話をし始めたと思ったら、直前に実は自分が彼を応援するような話をしていて、彼のなかではそのゲームをクリアしたことで『燃え尽き』症候群が起きており、僕の応援を受けてそこからもう一度頑張ってみようと、彼の心理内でそのきっかけとなったゲームの思い出話が聞いて欲しくて出てきたというような感じです。一つのたとえ話です。その流れの内部における言葉と感情に気づけていれば、突然別の話をし始めた彼に対する自分の話し方も、自然と感情を帯びていったのではないでしょうか。一つの仮定ですが、無感情に話を聞くことに対して、『流れに気づくこと』、これが感情を得る唯一の方法のような気がします。麻雀の牌譜を見返すように、自分の会話を振り返ることができれば、その力を、意識して鍛えていくこともできるような気がします。

頭を使って生きているつもりで、全然物事を取り落しているんだなと思いました。

面白い人とか、リアクションの良い人って、こういうことが自然にできるのかもな、とか。

とにかく僕は今日めちゃくちゃ感動したのでした。もしこの『エモ』をシナリオに生かすとするなら、キャラクターの会話を書いていき、そのとき言葉がどのように『効いて』いたのかというのを、三人称ないし一人称で語ったり説明するというような技法があるのでしょう。

是非意識してみたいです。頑張ります。

すごく興奮していていいですね。それでは今日はこの辺で。あーばーよー!