趣味がない人って何をしているんだろう
※今回、かなり一面的な見方をして文章を書いています。 ※閲覧注意
何をしているんだろう
ぼうっとしているのか
仕事やバイトで一日が終わるのか(それは仕事が趣味なのでは)
母はプリザーブドフラワーをやっていたが、誰か褒めただろうか。いつの間にか母は造花を辞めていたが、それは金銭的事情だけだっただろうか。だがいま母は海外ドラマと編み物を趣味にしているので、それはそれでよいのだろう。
白馬の王子様の如く、誰か救い手がやってきて何もない時間を埋めてくれると考えているのか。その誰かを待ち受けるために何もしないのか。
極度に飽き性なのか(なぜそうなのか)
レンタルなんもしない人とかもそうだよな
鬱などの病気
介護で忙殺
親のしつけによって、親の了承が無いと何もできない心理になっているのか。また、そのような経過のために自分で何かを決められなくなっているのか。
なにも趣味がない人は、どんなものも相対的に空虚に見え、ある意味で悟りの境地に近い人の可能性がある。だがほとんどは、寂しい人なのではないか。
やらなくてはならないことがあって、そのために趣味をする心理的余裕がない。
趣味をする必要はない。
散発的にする娯楽は趣味とはいえない。
趣味、というのはある程度反復定着した、自らにとっての娯楽的側面のある行為だと思われる。数ヶ月おきにするゴルフ、というのは趣味に入る。一度しかやらなかったゴルフは趣味ではない。
人と話すことが趣味、とか。
だがたまに同僚と飲みに行ったりすると、ほんとうに趣味が無いと言う人がいるじゃない。
そういう人は、人には言えない趣味があるということなのか、本人すら認識していない娯楽的反復行為を持っている、ということなのか。
自炊はするけれど、別に粗食でも構わないから料理は趣味ではない、とか。
プロゲーマーにとってのゲームみたいに、棋士にとっての将棋みたいに、テニスプレイヤーにとってのテニスみたいに、もはや娯楽ではないから趣味ではないとか。
のび太は睡眠が趣味だが、趣味が無いとは人生への反逆なのではないか。
仕事で一日が終わってしまうなら、普通に管理職になればそうなる次第なら、いつかキミもそうなるよ、ということなのだろう。いまのままだとどうせそうなるな。
学生で趣味がないという人は、責務の感覚が一日の大半を占めているのだろうか。
恋人がいれば趣味なんてなくてもいいのだろうか。だが、『趣味がない人って何をしているんだろう』と疑問が起こっている。趣味がなければ相手にも理解してもらえないのではないか。趣味なんてなくていいじゃん、相手を愛せば。
また、以上は趣味がない人の視点で考えていたが、趣味がない人とは、理解しうる面のない人なのだろうか。どんな面を見たって一人の人を理解しきることができないというのを前提にして、仕事だけに取り組んできた人を理解したいと思う人、趣味を持っている人を理解したいと思う人、そもそもそんなことを考えたこともない人。
趣味がないというのを自己申告制として、客観的に趣味といえるほど突出した特技を持っていない場合がある。その場合は、『趣味』と『特技』を取り違えていると思う。
趣味がない人には一般的には引っ込み思案な人が多いという。行動力や意思決定能力が欠けているという意味だろう。そのうち自分の意思力について悩んだ人はどれだけいるだろうか。皆悩むのだろうか。本当に、普段何をしているのだろう。
横になったり、カフェに行ったり、SNSを見たり、映画やアニメを見たりするんだろう。
美味しい食事を作れるようになって欲しい。栄養バランスのとれた、美味しい料理を作って、ごく普通の一日を過ごしてみて欲しい。