2020-02-06(木)
ブログは1時間で書き上げるようにしています。
なんと、当ブログが100アクセスいきました! なんかね、告知ツイートを『いいね』してくださることもあって、本当に有り難く思っています。
渦潮のYoutube活動は本当に需要がないのですが、自分に得意なことが何か一つあるとしたら『文章を書くこと』なので、この特技を大事にしていきたいです。
渦潮のYoutuber活動は本当に需要がないって!! 言わないで!! 分かってるから!! 新シリーズ始まってるから!!!
そんな感じで、今日も経過観察していきましょう。最近自分の観察じゃなくて、Vtuberの観察になっている気がする……w
『ユートピア』 湊かなえ 感想
地方の商店街に古くから続く仏具店の嫁・菜々子と、夫の転勤により社宅住まいをしている妻・光稀。そして移住してきた陶芸家・すみれ。美しい海辺の町で、三人の女性が出会う。自分の居場所を求めて、それぞれの理想郷を探すが―。
あぁ、書こうと思っていたネタだねえ。
頭を切換えなければいけない。
俺に書評をする資格があるのだろうか。
文学というのは、『本音』に対して『建前』が存在する。
大衆文学の場合、『建前』を書くことが主となる。物語の85%は、登場人物の『建前』で物語が綴られるのだと思う。
ここで『建前』を書くことができるというのは、作家の資質であると、読書家の方ならわざわざいうべきではないことを話しておこう。
ちょっとキザな言い方になってしまうけれど、自分はコーヒーのボディ(コク)とアシディティ(酸味)に例えるのがしっくりくると思っていて、大衆文芸の場合、『建前』が『ボディ』、『本音』が『アシディティ』になる。
ラノベの場合、この関係が逆になるんじゃないかと思っている。
そして『建前』を書けることが資質となるため、文芸は敷居が高く感じる。なぜかというと、『本音』と『建前』は人間の『美』と『醜』の関係でもあるため。醜い部分を書き綴れることも私達にとっては必要な時間と考えられている。文章にするとは、相対化を促すからだ。
『ユートピア』は、3人の女性(菜々子、光稀、すみれ)の視点から描かれる群像的ミステリー。
ミステリーの作り方を皆さんはご存知だろうか。私は書いたことがあるのだが、まあ体系的には語れない。だけれど、大まかに『着地点から作る人』と、『トリックから作る人』がいると思う。もちろん後者が圧倒的少数な本格(純粋)ミステリってやつなのだけど、湊かなえは前者になる。
なので重要なのは『描写』になる。
大衆小説はどう読んだらいいか。登場人物たちの『建前』を読んで下さい。
僕はそう答える。
「そうだ、食べたいものをみんな、せーの、で指さしましょうよ。私、嫌なの。本当はグラタンが食べたいのに、時間かかりそうだからみんなと同じ日替わりでいいやとか、ちょっといいお肉を食べてみたいなと思ってるのに、他のメニューより五〇〇円高いから、足並みそろえた方がいいかなとかって、遠慮するのもされるのも」
陶芸をしているので、火はそれほど怖くありません。それよりも、祭りに来てくださった方々を守りたいという思いでいっぱいでした。……そんなコメントまで考えていた《ページ捲り》自分にも腹が立つ。
人によっては読むのも苦痛だろう。
だが、地域のくじ引きで、最初は町内の人と一緒に喜ぼうとしていた『すみれ』だったが、自分の作品を一等の景品にした際に、その一等が当選した人たちに目の前で貶され、強いショックを受ける。そのときの文章。
誰に何等が当たったのか、確認したいとも思わなかった。
僕はこういうところに、作家の本音を見て、建前を知れるのだ。
菜々子というのは、実ははっきり言う人。
光稀というのは、実利的で、しっかりしているように見えるが、肝心なところで押されてしまう。
この二人がうまく噛み合っている。動き出しそうな人物像がとても良い。
山本周五郎賞受賞作は、全部読もうと思っています。
物語のオチも是非。
今日の読書
- よもつひらさか 今邑彩