うずしおの『経過観察中』

日記みたいなもの

小説の書き方:人称の話

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どうも、うずしお丸です。

今回は小説について解説をさせて下さい。

小説はそんなに技術が要らない分野でありまして、文章を書くだけであれば技術というより約束事、ルールが支配している部分が多いです。

今回はなかでも基本的な約束事である『人称』についてを、解説していきます。

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人称の種類

人称には、一人称と二人称と三人称があります。

一人称は主語が「わたし」や「ぼく」などをとり、自分を主体にする文章のことです。

二人称は主語が「あなた」になり、読み手を主体にする文章です。

三人称は主語が「彼」「A」など、一人称と二人称以外のすべてのものを主体にとる文章を指します。

小説では原則として、一文という単位で人称を切り替えることが許されています。

また、上の図のように一人称と三人称は細分化をすることができ、主観的な一人称一視点と、客観的な一人称多視点、主観的な三人称一視点と、客観的な三人称多視点に分かれます。

それぞれ説明していきましょう。

* 一人称一視点

一人称一視点とは、対象の人物が感じたことを『感じたままに』書く一人称になります。

『小説のための描写』をしていない一人称、といえばいいでしょうか。

対象である「わたし」の情感をそのまま書きたい際に採用されます。

しゃべりたくなくて口を閉ざしているのではない。しゃべれない。声を出したいのに、口が動かない。口が動いても息が出ない。息が出ても、声にならない。

――――青い鳥 重松清

主観的、客観的と書きましたが、一人称では特に明確な境界はありません。話し手である「わたし」がどれだけ客観的に話せるかというレベルの違いであるからです。次の引用も、一人称一視点に入ると思います。

ほんとはね、心の底ではわかってたと思う。高々度のBARCAPで脱出なんかしたって助かるわけないって。でも、あのときのわたしは、エリカはきっと無事だって思ってた。うまく海に降りて、ボートで漂流しながらレスキューパッケージが助けに来るのを待ってるんだ、絶対そうだ、って思ってた。

――――イリヤの空、UFOの夏 秋山瑞人

後述する一人称多視点と比較して、一人称一視点では、『小説の描写』という小説側の事情を介入させないために、人物の心情を真摯に伝えることができます。

一人称で文章を書いてみて、なにかその人物に迫れない、壁を一枚隔てたような感覚を覚えるとしたら、次に説明する一人称多視点で描写をしているためかもしれません。

  • 一人称多視点

一人称多視点は、「わたし」が小説の描写をする人称となります。

小津は私と同学年である。工学部で電気電子工学科に所属するにもかかわらず、電気も電子も工学も嫌いである。一回生が終わった時点での取得単位および成績は恐るべき低空飛行であり、果たして大学に在籍している意味があるのかと危ぶまれた。しかし本人はどこ吹く風であった。

――――四畳半神話大系 森見登美彦

ふつう人はこんなふうに描写をして生きていないところからも、一人称多視点は、一人称一視点と区別される小説的な描写であるのが分かると思います。

この視点では、主体である「わたし」が客観的に周囲の描写をするために、一人称のなかでも説明的な描写となります。一人称一視点では主体の気が回らないはずの描写や、時間の流れをある程度無視した描写をすることができるようになります。

ふつう一人称の小説では、一人称一視点と多視点が混在しています。

  • 一人称の使い分け

一人称の客観レベルの調整によって、次のように読者に与える印象が変わってきます。

一人称一視点   ⇔ 一人称多視点

純粋、真摯、自然 ⇔ 描写的、客観的、諧謔

必ずしもそうではないのですが、上述の傾向として、一人称一視点はライトノベルに人気が高く、一人称多視点は大衆小説などで使われることが多いです。

視点の客観レベルによって読み手に与えるその人物の印象はかなり変わってくるので、書き手のねらいによって調整して使い分けるのが大切だと思っています。

  • 二人称

「あなた」を主語とし、読み手を主体とする文章です。

小説ではあまり使われることのない人称ですが、日常生活ではアンケートやゲームのシナリオなどで使われます。

この人称だけで書かれた小説は読んだことが無いのですが、

一度同人誌で、二人称を効果的に用いた小説を読んだことがあります。

一人称で狂気的な自己撞着に落ちていく描写を続けるなかで、唐突に一文だけ二人称で、「ここまで読んだあなたも助からなかった。」と書かれており、ぞくっとしたことを覚えています。

ジャンルとしては純文学かホラーに適正があるのかもしれません。

二人称は、読み手の体験を小説上の人物の体験と一致させる方法として効果的で、ゲームの表現でいうと、プレイヤーに選択肢を選ばせることがそれに該当すると思います。二人称にはそれと同様の効果があるのではないかと考えています。

  • 三人称一視点

三人称では、登場させる人物は無制限となり、誰を主体にしても構いません。

ですが、主体を一つに限るのか、複数とってよいのかで、使い分けが発生します。

どういうことかというと、主体をとるというのは、その人物の思考や視野を通して、描写をするということになります。すると、人物Aから見える世界の限界というものが存在することがわかります。

三人称一視点では、この限界を越えることができません。

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三人称一視点では、AはBの思考を読むことができない

一人の人物を主役として明確に扱いたい場合このような描写が取られたりします。

  • 三人称多視点

三人称一視点のときの、思考や視野を通して描写ができる主体を、複数選べる書き方になります。

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三人称多視点では、Aが考えることもBが考えることも分かる

もともと気の弱いソーニャは、もうまえまえから、自分が誰よりも傷つけられやすいこと、誰でもほとんど罰をうける心配なしに彼女を辱めることができることを知っていた。

 

すると不意に、奇妙な、思いがけぬ、ソーニャに対するはげしい嫌悪感が、彼の心をよぎった。彼は自分でもこの感情にはっとして、おどろいたように、不意に顔を上げて、じっと彼女を凝視した。

――――罪と罰 ドストエフスキー

  • 三人称の使い分け

「どの人物の思考や視界を描写するか」という考え方で使い分けをします。どこまで人物の視点を「暴露」するかという線引の問題になります。

三人称では、主役側の視点を取り、主人公側の人物の考えていることを読者に伝えることで安心感を与えることが多く、一方で冷たい印象を読者に与えるために、ミステリにおけるミスリードの対象や、敵役、赤の他人の視点は敢えて取らないことが多いです。

そうした印象を逆手に取って、途中まで主体を取らなかった人物を、展開に合わせて視点にとって思考を書くようにして、味方側に引き込んだのだという印象を与えることもできます。

主体を取らず理解ができない存在だった敵役を、物語の後半で三人称一視点にして生い立ちを語る、というような使い分けの例ですね。

  • おわりに

ここまで読んで下さってありがとうございます。

伝わってもらえらたら嬉しいのですが、人称とその視点のレベル感の書き分けによって、読者に与える『印象』は随分と変わります。

そしてどの人称を選択するかによって、『書ける範囲』というのも異なってくる、というのがもう一つの大事なところですね。一人称一視点では、他人の思考まで覗くことはできない、というように。

書きたい小説の雰囲気や、語らなければならない視点というのに合わせて、人称は適切に使い分けていきましょう。

複数の人称を切り替えるために章や段落を分けるのも効果的です。

そこは気楽に、挑戦的に。

今回のお話が小説を書く助けになりましたら幸いです。

それでは。

やりたいことをやっているはずなのに、どうして幸福感が無いのか

答えの出ない問いを記事にして、自己愛的な欲求を満たそうとしている。

普段はこうした感情に背を向けて、意味のあることを、役に立つことを、正の方向に、やろうしているのだが。

負の方向を書くには、問いに直面するしかない、それも独りよがりに。

絵を描いたり、動画を作ったり、視覚表現の技術に手を出すようになった。 これまで頑なにやってこなかったといってもいい視覚に訴えかける行為を、実はしたかった筈だ。 しかし諦めていた行為を大人になってから出来るようになっても、全く嬉しくないという現実があった。 そして背を向けているのは物語にである。 やりたいことをやっているのに、何も嬉しくなくて、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうと思った。 逃げてはいけないのである。 それとは別に、やりたいことがあった。 人生はこの繰り返しなのだろうか。やりたいことと、追われていることとの揺り返し。

友人が成功しそうな流れを掴んでいて、とても誇らしい。仕事では同期に嫉妬する自分を発見した。時間というリソースは等しく有限で、平日はベルトコンベアに乗って流れていた。さいきんの悩みは、逃げないで、追われていることも、やりたいことも越えて、心身を壊さないで、時間に焦らないで、生きていくということだ。一番遠いところに、霞の先にゲームを作ることが待ってる。それは正直楽しみなんだよな。

お絵かきを始めた話~先生に教わったこと~

お久しぶりです、渦潮、うずしお丸、うずちー、どれかにあたる者です。

お陰さまで当ブログ「うずしおの『経過観察中』」が1000PVを超えまして、とても嬉しいです。

『授乳喫茶キタリナ』の記事を書く前は、あと1週間くらいで1000超えそうだなーというラインだったのですが、

記事公開後は一気に訪問者が来てくれまして、

第一の人気コンテンツとなってくれました。

uzusiox.hateblo.jp

今後もVR関連のイベント記事は書きたいと思っているので、デバイスを持っていない方でも、雰囲気を楽しんだり、VR界隈のことを知ることができるメディアになれたらなと思っております。

さて、今回はお絵かきのお話です。

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【ネタ記事】一番かっこいいVtuberは誰か

睡眠障害でつらいので一番かっこいいVtuberを決めることにします。

Vtuberファン数ランキングのサイトに掲載されている2000チャンネルに目を通しまして、その中から独断と偏見で選ばせて頂きました。

優勝 キズナアイ

キズナアイ

 
2,750,000 人 +1,000
313,044,641 回 +195,783
2016年から活動を開始。はじめてバーチャルYouTuberを自称した。親分と呼ばれる。
[ 応援メッセージ ]

 

親分だからです。おめでとうございます。

起源にして頂点なのでかっこいい。

考え方とか。すごいなあって思うから。


2位 月ノ美兎

月ノ美兎

 
552,000 人 +500
85,621,465 回 +158,090
いちから株式会社が提供する「にじさんじ」アプリ公式バーチャルライバー1期生。高校2年生。性格はツンデレで、根は真面目な学級委員。 #みとあーと
[ 応援メッセージ ]

にじさんじのトップだからです。

あとVtuber界の委員長的なイメージもある


3位 おめシス

おめがレイ おめがリオ

 
69位 おめがレイ おめがリオ おめがシスターズ [Ω Sisters]
236,000 人 +200
57,993,987 回 +66,587
バーチャル双子YouTuber。おめシス。 Vtuber Fightersが話題になった。Activ8株式会社のupd8に参加している。
[ 応援メッセージ ]

二人で腕を組んでいるところがめちゃかっこいい


4位 フブちゃん

白上フブキ

 
6位 白上フブキ フブキCh。白上フブキ
662,000 人 +2,000
74,444,264 回 +196,013
白髪のケモミミ女子高生。カバー株式会社のホロライブ所属。
[ 応援メッセージ ]

ホロのトップ、なんでもできる、猫じゃない


5位 くろねーちゃん

千羽黒乃

 
31,600 人 +300
831,416 回 +64,212
バーチャル鴉天狗、千羽黒乃が動画を投稿するチャンネルじゃ。現代に生きる鴉天狗の姿、その目に焼き付けるが良い! Twitter: senba_crow
[ 応援メッセージ ]

麻雀への愛に打たれちまったからだ……

雀魂トップランカーで、解説がすごい


6位 かふ

花譜(かふ)

 
316,000 人 +500
53,578,211 回 +116,705
かふです。 にほんのどこかにいる15さい。 うたをうたいます。 Instagram  virtual_kaf/ Twitter  virtual_kaf/
[ 応援メッセージ ]

耳に残る歌声は一人のアーティストとして好きだし、

楽曲の動画しか投稿しない方針も素晴らしい


7位 べイレーン

チャンネルはない

アンチ・ヘイト的存在であるこの人を褒める『俺』という、常に視聴者に自意識を突きつける存在であるため、こうした人を褒めることほどかっこ悪い行為はないのだけれど、敢えて言うと

生き様がかっけえ


8位 ヌール

ヌール

 
427位 ヌール Noor【NIJISANJI IN】
29,800 人 +300
513,744 回 +19,726
I’m Noor, one of India’s first Virtual YouTubers. ✨ Part of NIJISANJI IN 💙 Join the ride. I can’t drive. But it’s alrigh
[ 応援メッセージ ]

容姿・声でいうと一番かっこいいと思う


9位 おきゅたん

おきゅたんbot / VRすきま動画

 
4,310 人 +10
358,408 回 +1,412
VR大好きな、おきゅたんbotのチャンネルです! バーチャル世界からVRのある日常や楽しみ、未来をお届け。VRヘッドセットを持っている方もそうでない方も、遊んでいってね! 【公式ページ】https://ocutanbot.wixsite
[ 応援メッセージ ]

VRChat界隈で知らない人はいない

イベントをたくさん手掛けていてすごい人

認知されてほしいな


10位 靜凛

静凛

 
287,000 人 +71
40,284,955 回 +63,948
にじさんじ公式バーチャルライバー1期生の女子高生。高校3年生。穏やかで後輩を優しく指導するお姉さん。 shizurin23
[ 応援メッセージ ]

しずりん先輩は強キャラ感があるので。

選んでいてにじさんじという箱は強キャラが多いのだなと思った

 

以下、編集が大変なので画像などは載せませぬ


11位 桐生ココ

12位 ころぼしまう

13位 輝夜

14位 しぐれうい

15位 ときのそら
16位 樋口楓
17位 かしこまり
18位 葛葉
19位 電脳少女シロ
20位 ケリン
21位 楠栞桜
22位 クリムゾン
23位 天神子兎音
24位 剣持刀也
25位 をとは
26位 粛正罰丸
27位 九条林檎
28位 ミライアカリ
29位 もちひよこ
30位 天野ピカミィ
31位 ベルモンド・バンデラス
32位 叶
33位 竜胆尊
34位 周防パトラ
35位 音霊魂子
36位 春猿
37位 響木アオ
38位 甲賀流忍者!ぽんぽこ
39位 鷹宮リオン
40位 乾伸一郎
41位 天翔院ひいな
42位 夜乃ネオン
43位 黛灰
44位 鳩羽つぐ
45位 宇志海いちご
46位 歌衣イカ
47位 加賀美ハヤト
48位 波羅ノ鬼
49位 エクス・アルビオ

50位 不破湊
51位 夢心中
52位 燦鳥ノム
53位 バーチャルおばあちゃん
54位 相羽ういは
55位 ミミック

バブみで埋もれたい! 『授乳喫茶キタリナ for Quest支店』を体験してみた

6月18日、VRChatの人気イベント『授乳喫茶キタリナ』のQuest支店がオープンしたそうなので、遊びに行ってきました。

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Questユーザーとして迎えていただきました!

『授乳喫茶キタリナ』がどういうところなのか、という説明は、こちらの動画が分かりやすいと思います!

www.youtube.com

あえて文章でも説明しますと、

ユーザーが赤ちゃんになってママからミルクを飲ませてもらったり、

ママになって赤ちゃんにミルクを飲ませてあげたりするイベントです。

あの……○○体験レポートじゃないから! (VRイベントの体験記事を書くたびに言わなければいけない気持ちになるのは何故)

Quest支店は毎週木曜日22:00に開催、PC版の本店は毎週日曜日15:00に開催されています。

僕が持っているVR機器はOculus Questなのですが、取り回しが楽なのでPCに繋がないで遊ぶことが多く、Quest対応イベントがあるというのは有り難い限りです。

ああっ! あっ! あああああっ!!!! バブ!!! バブうう!!!!

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「よしよし。いい子ですよ~。ゆっくり飲みましょうね~」

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「えらいなあ、ブログ書いてるんやって? ゆっくりしてってなあ、ええこええこ」

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「上手に飲めてますよ~、10……9……8……、お仕事の疲れも綺麗さっぱり忘れてしまいましょうね~、7……6……5……」

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「Questでも見えてますか? よかった、今日はわざわざ来てくれてありがとうございます。よしよし」

最高か?

あとは自分もママ体験をしてみました。うまく写真を残せなかったのですが、初心者赤ちゃんを初心者ママ(私)が対応すると『やさしい地獄』が発生することが分かりました。一方で熟練の赤ちゃんをあやしていると、母性の芽生えを感じました。これが子供が親を育てるということなのでしょうか。何を書いているのか分からなくなってきました。

それともうひとつ。これはVRChatの闇になってしまうのですが、入店人数の上限を超えてしまうと、パブリックに新規インスタンスができてしまいます(世界中どんな人でも入れてしまう状態)。そこにVisitorさん(VRChatの初心者ユーザー)と一緒に入ってしまい、さらに海外ユーザーが入場して女性ユーザーを追いかけ回すという、収拾のつかない闇が発生してしまいました。

『日本人向けイベントに参加するには、先ず主催者の方をフレンド登録して、その方の作成したワールドに対して「Join」する』、という慣習を伝える必要性と難しさを感じました。新規ユーザーにとっては、会員制にしか見えない作りになっていますから……。

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愛で窒息するってこういうことなんでしょうか

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こういう図になってる

Questでは表示できないアバターがあったりと、まだまだ難しいところもありますが、視界には夢が広がっていました。

VRはヘッドマウントディスプレイを持っているほうが珍しいというのが世間的な認知状況ですが、まだ手の届きやすいOculus Quest機器(5万円台、もう1万円下がって欲しいけど……)と、気軽に参加できる「これぞVR体験」というイベントが沢山あります。当ブログでも、楽しそうなイベントをこれからも紹介していきたいと思っているので、これを機に普段知らない領域への興味を持って頂けたら嬉しいです。

そういうわけで僕は、もう一回赤ちゃんになってきますね。

バーーーーブゥーーーーーー!!! ターイ!

VRChatイベント情報

VRイベント情報はこちらから確認できたりします。

sites.google.com

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VRChatイベントカレンダー

こうして見ると毎日膨大な量のイベントがあるんですね。

今回のイベントのように、【Quest対応】とあるのがQuest機器対応のイベントです。

Questは、Oculus Link機能を使うことで、PC版としても動作させることができるのが優れています。

僕としてはV音が気になっているので、今度参加してみようかなと思っています。

『授乳喫茶キタリナ』、凄く楽しい時間でした。

それでは

なぜ小説を書いているのかを再考する1

渦潮は趣味として小説を書いている。

よく『本格的に小説を書き始めたのは~歳のときで』、というフレーズを目にすることがあるが、『本格的に小説を書く』とは実際、どのようなことなのだろう。

とりあえず、『不特定多数の読者を対象に小説を書くこと』と定義してみる。「小説を読者に届ける」意識を持って書く、というのが「プロっぽい」という意味で『本格的に』なのかなと一義的に思ったので。

してみると、僕のなかでは小説を始めた時期が3点、思い当たってくる。一つは、高校に所属していた文芸部の部員として小説を書き始めた時期、そして、大学生になってwebに小説を投稿し始めた時期。このあたりが一般的な『本格的に』を指す時期っぽいのだが、実はもっと前に、僕は小説なるものを書いていた。

この辺りでお気付きの方もいるかと思うが、渦潮はあんまり肩肘張ったものとして小説のことを「小説」と言っていないので、一つの趣味のようなものとして身構えずに読んでいただけると幸いである。

さて、僕の小説を書いていた最も幼い記憶をたどると、小学2年生頃になるだろうか。

児童文学の『ズッコケ三人組』と『エルマーのぼうけん』に影響を受けて、というかほぼ同内容で、『3人の小学生』が登場する、『作中序盤に出てくる7つのアイテムをすべて使い切る』、『無人島での冒険』を大学ノートに一冊半分、書いていた。

大学ノートをすべてひらがなで埋めるような熱量ではあるのだが、何も分別もないような頃に書いていた小説なので、当然誰のため、などと意識しているはずもなく、恐らく、「読んだ本と同じものを書きたい!」という衝動だけで書いていたのだろう。

この、自分にとって本当に初めて小説を書いていた時期を、『本格的に小説を書く』の範疇に入れるかどうか、という理屈をまず考えた。

そう考えると、幼い頃の小説は除外して、というカッコつきの意味で、『本格的に』という言葉が使われるパターンもありそうだ。「僕が本格的に小説を書き始めたのは~」と言うときは、自身の黒歴史を除外しているわけだ。都合よく人生の歴史を編集して。そう思うと、『本格的に小説を書き始めた~』後のものを評価してもらいたい、しゃらくさい意味合いがついてきた。

ちなみに当時の小説が、児童文学と『ほぼ同内容で』というのは、ズッコケ三人組における、スポーツのできる小柄な少年、博識なメガネ、ジャイアン体型の大食らいという要素がほぼ同じだったところで、記憶の中ではオマージュというより、パクリだったからである。

ちょっと定義の話から離れよう。今回は渦潮自身の振り返りの記事なので、渦潮用の自分語りになってしまう。

いまそのノートは手元になく、何処にあるのかもわからないので、完全に当時の記憶、印象、小学生の目から見た自意識で振り返っているのだが、その小説が未完となった理由は、作中でメガネキャラの少年が無人島の真っ只なかで発狂して、その発狂ぶりに書いている自分で恥ずかしくなって、筆を置いてしまったことである。処女作が断筆ENDで、こうして人生が分岐していくのだと思う。なぜだかいまでもそのメガネの発狂の羞恥の感覚だけが残っていて、3人の小学生が、一体どういう力学で学校生活という日常の風景から非日常の無人島へと舞台を移動したのか、その展開のぶん回し方など、仔細のプロットがまったく思い出せない。

覚えていることといえば、『ズッコケ三人組』と『エルマーのぼうけん』を足して100%希釈した内容を大学ノート1冊半分も書き付けていたということと、最終的にハカセポジのメガネが勉強ができるという自らの謎の自負心に溺れて発狂して、それを書きながら恥ずかしくなり断筆したという挫折の記憶、そしてそのノートを小学2年生の終業式頃、引っ越してゆくあまり仲の良いわけではなかった友達に気前よくあげてしまったという思い出だけである。そうだ、そのノートは彼が持っているのだ。当時の僕はその黒歴史をさっさと処分したかったのかもしれない。

ここで分かったのは、読んだ本と同じような小説を書きたいという、創作の萌芽というのか、そういうものの芽生えは、インプットなくしてはできないのだということだ。

(『同じような』小説を書きたかったのか、『同じように』小説を書きたかったのかは正直なところ定かではなく、そしてここがどちらなのかというのは結構問題だとも思う)

最初に小説を書きたい、という原初的な気持ちは、そういうところから来るようだ。

一方で、高校生、大学生となって、いわゆる『本格的に』小説を書き始めた頃からは、しがらみが絡みつき始める。

高校生のとき、だが、入念に思い出すと、最初は小説を書きたかった、小説を書いて部誌として学校中にばら撒くという痛快なイメージのある活動に、憧れのような興奮のような、人生の高校生という時期に自分がやるしかない、やるべきだというようなひらめきを感じていたのは確かである。当時ファンだったゲーム実況者の同人小説を読んでいて、彼のように小説を書きたいと思っていたこともあった。振り返ると確かに、原初的な欲求は「こんな小説が書きたい」というものみたいだ。

そしてここにもう少しどうしようもない感情もまとわりついている。小学生から中学生まで続けていたバスケットボールが、全然うまくならず、中学生から始めた同級生たちにレギュラーの座をほぼほぼ奪われ、このままバスケを続けていても、努力をしないだろうし、練習量は高校レベルとなりつらい思いは増える一方だし、バスケットにしがみついていても良いことはないと感じていた僕がいた。それでも当時の僕には謎の偏った自意識があって、運動部を続けないと舐められる、安心できない、という、恐らく自分が周りを見下していたのだろう部活差別というか、野球部やサッカー部を頂点として、バスケ部や軽音部が続き、文化部やその他のスポーツがあり、一番下が卓球部みたいな(卓球部の方、本当にごめんね)、部活序列みたいな意識があったのだ。

結局僕は空手部と文芸部という二足のわらじを履くことにして、一年の夏に差し掛かる前に空手部を辞めてバスケ部に入り直し、夏の練習についていけず、部員とも馴染めず、バスケ部の顧問の先生に頭を下げて(僕はこの先生が怖かった)、部の人たちには黙るようにして、消えるようにして、バスケ部を辞めた。僕はほとんど帰宅部となって、口笛を吹くように放課のチャイムと同時に自転車を駆って帰宅し、パソコンでフラッシュゲームなどに耽り、そうして自分が嫌になって、その時期に何をしていたかという記憶もまったく思い出せないくらい密度の薄い時間があって、小説を書くことも辞めてしまって、あっという間に二年生の夏を終えようとしていた。

僕は不幸というより、チャンスをものにできなかった。そう思う要素が、他にもう一つあった。文芸部への幻滅というものがそれだった。

これは、あんまり共感を得られない感覚なのかもしれないけれど。身の丈よりも高いと意識してしまう偏差値の高校にいて、そういう高校生は放課後、友達と遊ぶことが統計的に少ないそうだ。そんな文章をどこかで読んだ。それは、プライドが邪魔をするからだと書いてあった。僕はそんな学校で、自分を決定的にうちのめしてしまうような、いわゆる天才高校生、という存在を幻想していた。なんというか、自分を決定的に否定する天才がいて、あるいはクラスのなかに自分よりも小説を書ける存在がいて、そいつにある日突然後ろから刺されるように、優れた小説を書かれる、という妄想をしきりにしていた。だが、そんな存在は結局現れなかった。いいや、天才というのは結局最後には結果を残すのだった。僕がそんな妄想に耽っているうちに、現役で東大に入ってしまうくらい頭が良くて、男で同じ時期に文芸部に入った同級生がいたのだけれど、彼のことを眼中から外しているうちに、競争力というものを失って作品を書かない時期を生んでしまった僕は、高校の最後、取り返しのつかない時期になって、彼が評論の賞を取るという決着で終わってしまった。

いいや、そんな風なつまらない話で終わりたくなかった。

僕が頑張ったのは最後の最後で、高校二年の終わり頃に、部に在籍して毎月の部誌に載せられる機会があと数回という時期になって、痛切に、最後に何かを残したくて、作品を数点、書いていたことがある。

当時の僕がいなければ、今も小説を書いてはいなかっただろうと思う。

……こういう風に、小説というのが僕のアイデンティティに食い込んできたようだ。

自分語りも長くなってきたので、今回はここまでにしようと思う。とはいえ何か道筋を規定して振り返っているわけではないのだけど、次回は大学以降での小説との付き合いかたを書いて、自分の変遷と、創作への意欲の持ち方というのを、模索したいと思っています。

ちなみに、今回お話した、高校時代の作品というのは全部pixivに投稿していて、読めるようになっています。

誘蛾灯(pixiv)など、数点。

当時のネットの影響、という角度からも振り返る必要があるかなとは思っています。多分ネットの方が自意識は死ぬほど厳しかった。

とはいえ次の記事はVRの話を書きますw

それでは。